文化の壁、言葉の壁
2007 / 07 / 20 ( Fri ) 13:15:08
言葉の壁…
よく耳にする単語だ。 「言葉の壁は大きいよね」というセリフもよく聞く。 手話だけに限らず、世界各国言葉は違う。そんな言葉の違いや文化の違いを持ちつつ交流を深めるのにいつしか限界が生じる。それが壁なのだろう。 ある程度は互いに理解ができ、ある程度は互いに受入れることは出来る。 しかし奥深まってくればくるほどに互いに理解しにくくなり、互いに受入れにくくもなる。 そこで終わるか、事細かに打破していくかは個人の自由でもある。 しかし一つ一つを打破していくのは早々簡単なことでもない。一定の角度からではなく、色々な角度から見てみたり、自分の概念は捨て、あくまでも客観的に物事を考えなければならい。言うのは非常に簡単である。しかしこれを実践することはかなり困難であり、妥協しやすく挫折もしやすい。体の中に異物を入れるのと同じくらいに精神的にもダメージが生じる 何を難しいことを言っているのだろうと思う人もいるだろう。 しかし異文化を理解し受入れることの難しさにゴールはない。 表面的なものを、見える範囲のものを受入れるのは簡単なことであるが、それすら受入れない人もいることは確かである 「簡単なことよ」と言う人は多分浅瀬の魚しか見ていなかもしれない。 または深くても、沖縄の海のように透き通った海の魚を見ているのかも… 深海魚にはまだまだ謎の生命体が数多くある。 見えないところをすべて知ろうとしても、どんなに科学が発達しても限界がある。 なぜ私は海の魚に例えたのだろう…不思議だ… そんなことはどうでもいっか… 今私は聾の文化の中にいる。 そしてたくさん学ぶ事がある。 この文化の中にいてどんなに自分はチッポケな人間であるかがわかる。自分の視野の狭いことに気が付く。 そして当たり前であることが、当たり前でないことも気づかされる。 聾文化に関わり始めてショックなことは多い。何故ショックなのかが最近分かった それは文化が違うからとかではなく、自分が小さいからという事(体は大きいけど…) 聾文化に関わることは人生の分岐点でもあったかもしれない。 自分の固定概念だけで変わらず生きるか、またはたくさんの世界を知って自分の成長への道か。 聾文化の中に居る限り、聴文化で生きる私にとっては摩擦は起こり続けるであろう… その摩擦を摩擦で終わるのではなく、摩擦によって火を興す術であることを自分のものとしていけるようにしたいものである 今回はちょっとばかしまじめに書いてみた |
もしも聴者だったら
2007 / 07 / 02 ( Mon ) 17:35:46
ここの事務所の広さは約9坪(10坪足らずくらい)の正方形の部屋。
机とか色々物を置いたら結構せまくなってくる。動き回れるスペースはもはや4坪くらいだ。 そんな事務所に先日わらわらと聾者が集まり、各自おしゃべりしていた。 ![]() 決して集会でもなく、ミーティングでもなく、ただ偶然集まって来ただけであり、なんかあまりにも多いなと思いながら、事務所の隅っこで冷静に何人いるか数えてみたら11人もおった!! うおぉおおおぉぉぉぉぉ ![]() すると11人の聾達は4グループに分かれそれぞれおしゃべりをしている。仕事の話、プライベートの話と様々である。 その状況を見たとき、ある違和感が体全体を襲い始め 「なんだこれは〜この気持ちのわるい違和感!」 ![]() その違和感とは ここにいるみんなが健聴者ならさぞかし“うるさい!”だろうなあと思った瞬間だ。 健聴者同士がそれぞれおしゃべりしていると、となりのグループがうるさいから、さらに声がでかくなって、さらに隣も聞こえないからまた声がでかくなる。そんな繰り返しだから部屋の中をすごいうるさい部屋になってしまうのは、健聴者にはよくある光景だが、聾者が11人もいて、個々がそれぞれ好き勝手にしゃべっているにもかかわらず、事務所の中は静だ。時折笑い声が聞こえたり、手話の手がパンってあたる音や体を叩くドンという音が聞こえるだけで、シーーーーーン ![]() みんなおしゃべりしてるの?こんなに居てみんながしゃべっているのに、静だなんてけっこう間近でみたら違和感ありますよ。 聾ワールドではあたりまえだけど聴ワールドではありえましぇーーーん! ![]() |
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